第三次nikuty

タイガーマスクで言うところの金本浩二みたいもんよ

Sakuraba氏作成の個人ニュースサイト史への感想と自分語り

 

・個人ニュースサイト史 < 佐倉葉ウェブ文化研究室

 

記事の中身はまるで論文のような、個人ニュースサイトの隆盛から没落までを綴った歴史書のような密度の濃い超力作としか言いようのない記事。

 

後述するけど2007開始組だし俺はそもそも個人ニュースサイトの初期とか知らないし始めた・知ったきっかけもネットランナーのサイト運営者の表彰企画がきっかけだから読むと普通に資料として面白い。

 

記事中に年表とおもなサイトのリンク、それについての考察とか貼ってあったりして芸が細かい。

中盤の「◆2004年~2008年 SNSの足音」の章で、

2007年は新規個人ニュースサイト最後の豊作年であった。 個人ニュースサイト論によく顔を出していた1月5日開設の『@nikutyせかんど』、3月5日開設の『愚者のニュース』、 3月28日開設でアイマスMAD動画関連の『兎に角やってみよう』、 5月19日開設でエロ系ネタが多めのゴリラブーツ、9月7日開設の『どどどの日誌』、 9月18日開設で「VOCALOID」関連の初音ミクニュース』、 9月18日開設でスク水枠が毎回ある『すくぅうみうぎ』、 12月1日開設でニュースサイトとテキスト系の融合型である『るいんずめもりぃ』。此の様に個性的なサイトが多く出てきた。 同時に此の年はTwitterが流行り始めた年でもあった。

豊作と評された2007年組(そういう言葉で定義したくなったのはニュースサイト的ブログ更新をしなくなってからだが)だし、

一番最後の参考文献に俺のはてなブックマーク参考にしてるそうだし、

明日も休日だしブログ書きたくなったよ。

 

つか俺のはてブも資料の一つにしてるからなのか、この面子はニュースサイト論にいっちょ噛みしてた奴らばっかというか。それこそクマ夫ことどどどさんなんかも同じようなブクマしてるはずだが俺のほうが無駄に熱量高かったのかもしれない。

基本的に言及したら最低限の責任としてコメントつけることにしてたし。

 

他にもアリガミンネットワークがないとか、

ポ☆ニューがないとか、

舞軌内雑筆店がないとか、 

 こういう俺がもし載ってなかったら同じ勢いで抗議してるであろう発言をしているいつのまにかハンドルネームが酔狂さんから鳥粋(うすい)さんに変わってた日日俺酔狂(ちなみにサイト名も「傾き屋」に変わったらしい)がないとか、

 ごみおきばがないとかあるんですが、

ここらへんのチョイスは公平な感じはしないんだけど、

記事の密度の濃さを鑑みるとそういうあれがないこれがない議論は野暮ってもんだよなぁ。

 

時系列入れ替わるけど「◆2001年~2003年 個人ニュースサイト界全盛期」の章での、


 音楽といえば2002年1月11日開設の音楽配信メモ。 只、此のサイトのリンク対象は音楽は音楽でもインターネットを使った音楽配信、音楽に関わるIT技術である。 管理人である津田大介氏はライターであり、雑誌「ネットランナー」で記事を書いていた。 「だからWinMXはやめられない」と云う本を出しており、古くからウェブを見ていた人にとって津田氏はUG方面の人という認識と考えられる。

 今の津田氏のなんかとてつもなくめんどくさい感じの人になったのは俺はネットランナー読者だったし残念だよ。

 

 津田氏と同じように個人ニュースサイト管理人で有名評論家になった人には成城トランスカレッジ!』のchiki氏(荻上チキ)がいる。

この方もTBSラジオでレギュラー番組あるし個人ニュースサイトっていう総体を戦国武将に例えるなら出世頭の筆頭だよな。

同じTBSラジオでレギュラー番組持ってる爆笑問題とかアルコ&ピースをイジったりしてるらしいし。

 

 終わりの方の記事の総括した「 4.最後に。個人ニュースサイトについて徒然」の章で、

 2007年以降、『Twitter』等のSNSが個人ニュースサイト界に与えた影響は余りにも大きかった。 サイトの更新停止が連鎖的に続いた。 「やる気が無くなった」とか「リアル環境が変わった」とか理由付けは色々有るも、多くは結局『Twitter』では呟いているのである。 つまり、個人ニュースサイトの多くは、厳しい言い方をすると『Twitter』での呟きで簡単に代用出来る程度の物であったとも言えた。

 こういう現実的な見解が俺は好きなのよ。

 

うちはリンク貼って「一言コメント書いておしまい!」っていう俺の感じ方だと雑に思えた(一言の瞬発力って考え方もあるし今は若干当時と心境は違う)更新をしてないし、

更新するからには毎回1更新完全燃焼でスタイルやってたから逆に納得できる自分が楽しめる更新できなくなったし、

そもそも後に大手ニュースサイトとも呼ばれるような羅列型ニュースサイトっていうか先行者たちに対してそれはクリッピングサイトじゃないのか?っていう思いもあって自分の中で敵対視(これは先行者に対してだけでもないけど)して「後発のサイトだろうがなめんなよ!」みたいな気持ちで戦いを勝手に挑んでたつもりなんだけど。

アクセス「数」なんかで図るんじゃない、アクセス「質」なんだよ!ってな。

そういう戦いから降りちゃったなって。サイト運営では負けたと思ってないがTwitterには負けたかもしれないな。

 

あとはPC買い替えた時にパスワードわからなくなって永遠に更新できなくなったのもあるなぁ。

 

でもまぁサイト運営によって未だに交友関係が続いてて一緒にJAM Projectのライブ行ったりしてるんで、個人ニュースサイトとやってた時の意思はまだ残ってるし忘れるには惜しい経験なので当時関わりのあった人とは今は枝分かれしてしまったけど、

有事の際には必ず戻ってくるぞ、アイルビーバック!筋肉復活!

 

なんだかんだで個人ニュースサイトってジャンルに帰属意識みたいなの1番感じてたのは俺だったのかなぁという気がしてきたぜ。

 

□関連:@nikutyせかんど ニュース紹介

 

www.pixiv.net

この自分で自分のブログの更新のパロディするっていう。

解説するのもダセェと知りつつ記事タイトルに対するオチ画像をつけるのも懐かしや。